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兄が高校生になると、暴力はさらにエスカレートしていきました。 


度々起こる騒動に父が絡むようになり、男同士の殴り合いが始まり……。それはご近所にまで知られるまでに発展していきました。 


バラバラになった家族。 


一体どうなっちゃうの……?  


そこに転機が訪れました。兄が地方の大学を受験すると言いだしたのです。  


わー!

これで安泰! 

家が安息の地になる! 


さすが我が兄。 

ちゃーんと、希望の大学に合格しました。 


私という名の物語11につづく



成績優秀、自慢の兄。そんな兄が実は、学校でいじめられていることが判明しました。 


その鬱憤を晴らすがごとく、兄は家庭内で暴力を振るうようになったのです。 私もよくぶっ飛ばされました。  


当時の私は、まさか兄がいじめられているなどとは露程も知らず。暴力を振るう兄を見てもただひたすら「ワガママ野郎」としか思えず。 家庭内はどんどん空気が悪くなっていきました。家にいる時はいつも耳をふさいでいたのを今も覚えています。  


両親は家にいないことが多かったので、兄はよく祖母と喧嘩をしていました。真面目で規則正しく暮らす祖母と兄は、常に反発し合っていました。 


兄は毎日のように怒鳴りちらし、壁を殴る。壁には穴が増えていく。 罵声が飛び交い、時には刃物が登場し……。 


そんな日々は、兄が高校生になっても続きました。今ならわかります。兄が葛藤していたのを。祖母が孫を思って叱咤激励していたことを。だけどあの頃はそんなこと、これっぽっちも思わなかった。 


私の中の黒いものがさらに大きくなっていく。「なんでいつもお兄ちゃんばっかり!」家族はみんな、兄ばかりかまう。私のことなんてちっとも見てくれない……。


そんなにひどい態度でいるのに、兄の頭は良いまま。そのことが余計に私をいらつかせ、私の劣等感を大きくしていくのです。 



私という名の物語10につづく

【庚子】は、こんな人です。
【庚】それは、表すなら刀や剣。鉄を用いたもの。鉄は、熱されて打たれてはじめて製品となります。
なので、自分自身を過酷な環境に置くことが大成する一番の近道です。

刀のように、一本気な性格で曲がったことが嫌いです。正義感に溢れてます。
さらに負けず嫌いな性格で自分を鍛えるための錬磨できる人です。

自分の納得するまで、一から終了するまで気を抜くことなく自分を高めていけるそんな方。


損得で動く部分もありますので、自分を楽な方、楽な方へ進みたがりますが…楽な方ではなく、自分を光らせる意識を忘れずにいきていくことが大事です。

皆様、こんにちは。
四柱推命鑑定師
佐藤ななです。

本日よりお盆入りですね。
各地方や風習は違いますが御先祖さまに感謝をして想いをはせる時です。

四柱推命には「墓」という星があります。
先祖供養をする使命を持っています。


これを持っている方は、バランス感覚が重要になります。

親ばかりに片寄ったり、兄弟ばかり片寄ったりしてはいけません。あくまでも中庸な状態を保つことが大切です。

正直で頑固で一本気、自分を信じる道を突き進むパワーを持ってます。凝り性で割りとオタクぽっい所も…。


絶対絶命の時は、先祖の方々から加護をもらえますので日頃から感謝しましょう。

お盆の時期だけでなく、お墓参りに行けなくても感謝の気持ちを述べることが開運に繋がります。




私のバカっぷりは……。


体育以外の勉強はできない。もちろん宿題なんてやらない。よくいる「夏休み最後の日にやればいいや」というタイプ。 


私のあまりの頭の悪さに、親は私を公文に入れたり、塾に入れたりしました。だけど当の本人は全くやる気なし。当然、兄との差は開いていきました。


私達兄妹は公立の学校に通っていたので、小学校も中学校もずーっと一緒。私はずーっと「○○の妹」と言われてきました。家族にも、「お兄ちゃんはできたのに」「お兄ちゃんの方が○○なんだから」「もっとちゃんとしなさい!」 などと言われ続けてきました。


両親は、「兄が優秀なのだから、本当は奈菜も優秀なはず」 そう思い込んでいたのかもしれません。 兄と比較され続けることで、私のココロの中に黒いものがうず高く積まれていきました。


それは劣等感、承認欲求、自己否定などと呼ばれるもの。 


そのうち、兄の反抗期が始まりました。 


私という名の物語9につづく


7年前の結婚式で、両親への手紙に私はこんなことを書きました。


「私は、家族が大嫌いでした」

 「だから、高校を卒業してすぐ家を出ました」 


結婚式では絶対に言ってはいけないであろう言葉で始まる手紙を、私は両親に向けて読み上げました。 会場がどよめいたのを、今でも覚えています。 


私の家族は普通の家庭です。可もなく不可もなく、特に仲が良いわけでも悪いわけでもないという感じ。 家族構成は、祖父母、両親、五歳上の兄が一人。


両親は共働きでほぼ家にいませんでした。私は祖母に育てられたようなもので、親との記憶はすごく薄いです。


そして、兄。兄は優秀でした。頭が良く、親や祖父母にも気に入られていました、今でこそ自慢の兄ですが、私がその心境に至るまでにはかなりの年月がかかっています。


私が小学生1年生の時、兄は6年生。兄は成績優秀で、運動会では応援団長をしていました。すごく輝いていました。


兄の輝きは年を重ねるごとに増していき、それと反比例するかのように、不出来な私のバカっぷりが発揮されていったのです。 


私という名の物語8につづく


四柱推命での鑑定時、「人が生まれながらにして持っている性格・能力・素質」のほか、「その人の生き方や環境による後天的な人生の可能性」もお伝えしています。 


人間関係で困ってること、パートナーシップ。 転職など、なかなか決められず迷っている方の背中を押せるように…… 。


「あなたは、そうじゃないから!」ではなく、「あなたには、こういう才能もあるよ!!」


あなたが気付かずにいる才能、 まだ眠っている、あなたの素晴らしい才能についてお伝えします。


人の運気や運勢は、吉凶ではなく「陰陽」です。 運気が明るい、軽い、暖かい時期もあれば、 暗く、重く、冷たい時期もあります。  


それは日本に四季があるように、どの季節が悪いということではありません。 それぞれの季節に合わせたココロの在り方、過ごし方をすることで、運気の流れに乗ることができます。もちろんそのことも鑑定時にお伝えしています。  


四柱推命の鑑定結果には、 「死」「絶」「墓」「病」など、なんだか怖い文字が並ぶのですよね……。


でも安心してください!


あなたのココロとカラダが結ばれ、素直に星がみつめられるよう、前向きに明るく、言葉を選んでお伝えします。


自分自身が四柱推命で救われたように、みなさまをお救いしたいと私は思っております。 


私という名の物語7につづく


その講座を主催している一般社団法人日本漢方薬膳協会の代表は、 漢方薬剤師の堀江昭佳さんでした。 


ここで初めて堀江さんの存在を知り、堀江さんの本を購入しました。  


風水薬膳®講座については、こう書かれていました。「陰陽五行説を基本として、 東洋医学(漢方・薬膳)、生薬・ハーブ学、心理・運命学、カウンセリング手法について学び、風水薬膳®茶を通じて、自分の、そして大切な人たちの心と体の健康に役立てていく講座です」


漢方・薬膳と四柱推命、どちらも根底は一緒。陰陽五行説から成り立ち、生年月日から自身の体質やなりやすい傾向がわかるというもの。こんな素敵な学びがあれば、私の体質も変わるかも! そう考え、学び始めたのです。


学びの中に、「心身一如」という言葉がありました。肉体と精神は一体のもので、分けることができず、 一つのものの両面であるということ。 この考えを知って「自分のカラダのことを放置しすぎた……」そう感じました。 


そうと決まれば話は早い。まずは自分の体質改善から取りかかりました。


 ・夕食断食

 ・食生活の見直し


食に関しては、 調理師である悠さんが全面的に協力してくれました。堀江薬局で販売されている『ご縁授茶』も飲み始めました。 


 徐々に爪が生え、皮膚は変わっていきました。「ココロもカラダも両方大切!」それを改めて認識しました。


そして、2017年には一般社団法人日本漢方薬膳協会の風水薬膳®アドバイザーの資格を取得しました。 風水薬膳®と四柱推命。ココロとカラダを両面から見ていくということ。運動ができなくても、健康には気を使いたい。 それには「風水薬膳®茶」が取り入れやすかった。 


ココロもカラダも素直になり、なりたい自分を知る。 


夢を思い描きながら、お茶を飲む時間を作る。 ゆとりを持つ。 


夢を実現するには大切な時間です。 



私という名の物語6につづく



四柱推命と出会って私は、劇的な変化を遂げました。 


四柱推命のおかげで考え方はポジティブになり、 モチベーションは高まるばかり。 


なのに、なのに。 


自分のカラダについては放置プレイ──。 


四柱推命で自分の星のことはわかっても、尋常性乾癬だけは治りませんでした。 爪がなくなり、全身にも症状が出て、肌はボロボロに……。  


尋常性乾癬は、かゆいです。とにかく、かゆい! 皮膚は鱗状にはがれていく。 病院に行ってもステロイドを大量に処方されるだけ。一時的に治っても、まだすぐ元通りになってしまう。 


うう〜! なんとかしたい! 


何かないかとネットを見まくる日々。 私がスマホとにらめっこをしている頃、 旦那の悠さんは薬膳を学び始めました。 


私にも何かないかなと探して、ついに見つけた!


一般社団法人日本漢方薬膳協会主催の『風水薬膳®基礎講座』という講座を見つけたのです。 その講座の説明文にはこう書いてありました。 「生年月日に基づく陰陽五行から、生まれ持った自分の心と体を知ることができます」 


 なに------------!!!!!!!!!!!! 


 これは、学ぶしかない!!!!!!!!!!!! 


 速攻で申込をしました。 



私という名の物語5につづく


四柱推命を学び、私が最初にしたことは「四柱推命を仕事に活用すること」。 


スタッフの本質や性格を見て、一人一人との付き合い方、その人への伝え方、個人の適所、仕事の任せ方、 それらをどんどん変えていきました。(もちろんそのことは本人には内緒です) 


これを始めてからの大きな変化は、「スタッフの退職が激減したこと」です。 


新たにスタッフが入っては辞め、入っては辞めということが繰り返されていたのに、退職せずに、長く勤めてくれるようになりました。 スタッフが定着して、チームの関係性も良くなっていきました。


 売上は上がり、人材育成もでき、私は会社で表彰されるようになったのです。 店長からさらに昇格し、エリアリーダー、部門リーダーも任せてもらえるようになりました。 「私、自分の星を活かせてる!」初めてそう思えました。 


そう思うと、嬉しくて嬉しくて飛び上がりたいくらいでした。 そして、こうも思いました。 「四柱推命を活用してもっと仕事をしたい!」 


そうは思うものの、鑑定師として仕事をすることに、自信が持てませんでした。 人を観るのが怖かったのです。「 鑑定結果が間違って伝わったらどうしよう!」そんなことをしたら、その人の人生を左右してしまう……。 


このままではダメだ。 せっかくの自分の思いがもったいない! ブログを開設することで、 自分の思いを文章にすることにしました。  


すると、知人友人から「私も鑑定してほしい!」という連絡が来るようになりました。 無料鑑定を始め、それを一年ほど続けました。  


ある日、一人の男性を鑑定しました。 鑑定が終わると彼は、スッとお金を出してきたのです。 私は断りました。「お金はいただいていないので、大丈夫です」と。 すると彼は「ななちゃんにはお金を払う価値がある!」 そう言ってくれました。 


私は四柱推命の鑑定で初めて、3,000円というお金をもらいました。 感動しました。 すごく感動しました。 私の言葉には価値があるって、初めて自信が持てたから。 


この経験から私は、「鑑定師を目指そう!」 四柱推命の鑑定師になる決意をしました。 


あの時の3,000円。 実はつい最近まで神棚に置いていました。 その後、源流から四柱推命を学ぶためにそのお金を使いました。 


そして現在、一般社団法人日本占道協会所属の鑑定師となり、講師の資格も取得。 2018年春にはアパレル店長を卒業し、四柱推命鑑定師として、本格的な活動を開始しました。 



私という名の物語4へつづく


そんな時、「四柱推命」出会いました。 知り合いが四柱推命の鑑定師を紹介してくれたのです。


その鑑定師は命式からパワーストーンを作るということをされていました。 せっかくなので、パワーストーンを作ってもらいました。 ホント、藁にもすがる思いです。  実はその鑑定師が、今の私の師匠にあたる方なのです。 


自分の本質や自分の持つ可能性についてを、私は彼女から教わりました。 また、運気にはバイオリズムがあり、その時々でテーマがあることも知りました。 実は、人生で初めてまともに占いの類を経験したのがこの時でした。


自分の本質を知り、自分の持つ可能性を知る。 そうして初めて自分を客観的に見ることができました。 


私の本質は、陰陽五行で言う「己」です。 己は、大地や畑を表します。植物や果実を育む大地であり、豊かな養分を蓄え、分け与えるのが得意な人。 それが私だったのです。 


それを知った時、すごく嬉しかった。 「私にそんな才能や素質があるんだ!」 すごく嬉しかったこと、背中を押されたことを今でもはっきり覚えています。 


転職回数が多いのも仕方ないことだった。 自力でやるのではなく、もっと他力を借りてチームを作っていく。 私はそれが得意なんだと知ることができたのです。 


ふっと、肩の力が抜けました。 今まで自分にはないと思っていた才能。そんな才能が自分にもあったんだ! 自分への可能性が芽生えた瞬間でした。 


それからは、「自分には才能がある」そう思って行動しました。 するとどうでしょう。あのつらかった日々が嘘のように楽しくなっていったのです。 


四柱推命の素晴らしさ、その可能性に、私はさらに惹かれていきました。 


その時の鑑定師がお弟子さんをとるという話を聞きました。 自分が鑑定師になるかどうかはまだわからないけど、私は彼女のもとで学ぶことを決めました。 「四柱推命を学びたい!」ただその一心でした。


それは、2014年夏のことでした。 



私という名の物語3につづく